宮﨑家とは
宮﨑家は九鬼村(現:三重県尾鷲市九鬼町)で、九鬼氏の家系が絶えぬように補填役を任された家系であり、中和一由(なかなぎひより:五代目宮﨑嘉助 1878/1/23~1969/10/24)氏の兄、盛隆氏が九鬼家を継いでおります。
中和一由遺稿集とは
中和一由は、九鬼家の歴史が世間で誤解されており、それを正そうと事業引退後、九鬼家の歴史を本格的に調べました。九鬼家の蔵の管理は九鬼盛隆氏が行っていましたが、盛隆氏が中央林間(神奈川県大和市)に移ってからは、蔵の管理なども中和一由がしていたようです。
九鬼嘉隆は三重県九鬼村(現尾鷲市九鬼町)出身ですが、多くの本は三重県志摩市大王町波切出身と書かれていたり、熊野大社の神官がその始祖であると書かれたりしているのが現状です。
なお、中和一由が三重県志摩市大王町波切の仙遊寺に取材に行った際、当時同行した同会会員の宮﨑眞佐男が、九鬼家の墓所のある仙遊寺の住職からも、九鬼嘉隆は波切出身ではないと聞かされています。
志半ばにして、故人となりましたが、息子の宮崎道生(岡山大学文学部名誉教授 1917/10/13~2005/4/1)が遺稿集として中和一由遺稿集第一巻 (九鬼家歴代略記)を出版し、国会図書館に請求記号:US21-31、全国書誌番号:74003898・書誌ID:00000123616として保管されています。
(写真:中和一由(五代目宮﨑嘉助)喜寿の写真)
中和一由遺稿集 ダウンロード
現在も九鬼嘉隆は三重県志摩市大王町波切出身と書かれている書物や案内を見かけます。中和一由遺稿集第一巻(九鬼家歴代略記)は非売品のため、手に入りにくいようなので、特定非営利活動法人和新会の事業の一つとしてここに九鬼家の部分だけ、PDFとして公開します。
・序
・例言
・別名「中和一由」の由来
・執筆の動機・意図・経過
・九鬼本家
・九鬼第一本家(波切)
・九鬼第二本家
・九鬼第三本家
・註
・遺構
・史料
・弔辞・回想記